藤前干潟を守る会
    Fujimae Ramsar Society
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藤前干潟保全活動の概略


藤前干潟はゴミ埋立から守られた日本最大級の渡り鳥渡来地です。その保全が名古屋市のゴミ行政に画期的な転換をもたらしました。
 しかし、名古屋港西部、庄内川、新川、日光川の河口部にあって、都市河川からの汚濁負荷が大きく、浚渫跡地から通常は底層にある酸素不足の水域が表層に わきあがり、魚介類などが呼吸できなくなるなど、環境の維持、修復に厳しい課題があります。
 一方、215万都市の中に本物の自然が息づくオアシスとして、四季折々の渡り鳥との出会いや、素足ではいる干潟の感触と生きものとのふれあいに子供たちの歓声があがります。      
 2002年11月、国際的に重要な湿地を保全するラムサール条約登録地指定。

■埋め立てを逃れた最後の干潟浅海域■ 

木 曾三川、庄内川が形成してきた伊勢湾奥部のデルタ地帯・干潟浅海域は、江戸時代から干拓による新田開発が進められてきました。 その一角に開かれた名古屋 港を拠点に、1950年代から始まった高度経済成長政策にもとづく臨海工業開発のために、機械による浚渫方式によって、過去300年の干拓地と同等面積の 埋立地を10倍の速度で造成がすすみました。この大きな自然破壊を伴う方式によって、8,000haの干潟浅海域が、4,000haの埋立地と深い水路に 改変されました。 その過程で庄内川河口から木曽川河口までの一帯は、西部臨海工業地帯と名づけられ、1964年(東京オリンピックの開催年)に西1区か ら西5区までが計画され、ほぼ10年間で埋立が進みました。しかし、西1区(現在の藤前干潟)のみが海面下土地私有権に関する争いがあったために 105haの埠頭計画が具体化されず、放置されていました。

■ゴミ埋立計画■ 

埋 立で生息地や餌場を負われた渡り鳥たちがこの一角に集中していく過程を、1971年から干潟の保全活動を開始していた愛知県鳥類保護研究会が調査し、 1979年に「チドリの叫び、シギの夢」と題する報告書にまとめ、渡り鳥の最後の砦の保全を訴えました。 1974年の石油危機によって埋立地が売れなく なり、埋立地造成は全国的に沈静化していましたが、それから10年、1984年に、20年放置されていた西一区計画が、土砂埋立をゴミ埋立に変えて復活し てきました。それは逼迫するゴミの最終処分場として、1990年から2000年までの名古屋市の一般廃棄物を搬入する計画でした。

■干潟保全活動■ 

渡 り鳥の最後の餌場を守れと、自然保護15団体が結成した「名古屋港の干潟を守る連絡会(後に藤前干潟を守る会と改称)」による干潟保全活動によって、計画 は2度にわたり縮小され、遅延したが、1994年1月、当初計画の半分46.5haの公有水面埋立事業として、ゴミ処分場設置に向けての環境影響評価(ア セスメント)手続きを開始、1996年7月、アセスメント準備書を告示・縦覧しました。守る会は公開調査によって準備書の「影響は小さい」とする評価が恣 意的で誤りであることを実証し、1997年5月から8月にかけて3回の公聴会で再調査と代替案の検討を要求した。1998年3月、名古屋市アセスメント審 査委員会が「影響は明らか」とする画期的答申を発表、ただし、代替案の検討には触れず、人工干潟などの代償措置をとることを示唆して、事実上埋立事業を容 認しました。同年8月、名古屋市はアセスメント評価書に人工干潟整備計画をつけて埋立申請し、市議会、県議会の容認、運輸大臣の認可申請まで進めました。

■ラムサール条約登録へ■ 

守 る会は「成功例」とされた各地の人工干潟の実態調査を行い、それが成功していないことを発表、環境庁も独自委員会を立ち上げて調査、同年12月、翌年のコ スタリカ会議に向けた日本湿地ネットワークの国際湿地シンポジウムで、その無謀性を指摘。その後環境庁長官の厳しい発言や運輸大臣の「環境庁がノーといえ ばできない」発言があって、同年12月愛知県知事が代替地の検討を提案、1999年1月名古屋市は計画を断念しました。名古屋市の「非常事態宣言」、全市 を上げてのゴミ減量への取り組みが成功し2年で2割減の目標を上回って、埋立ゴミも半減、藤前の代替に構想されていた木曾岬沖の広域処分場構想も撤回、環 境省にラムサール登録促進を要請し、2002年10月、藤前干潟のラムサール登録地指定を環境省が官報にて告示しました。1997年に有明海諫早干潟が閉 め切られ、「ギロチン」と呼ばれたその衝撃的な映像が、自然破壊型公共事業に対する全国各地の憤りを呼び起こし、それが藤前干潟をゴミ埋立から守れという 声として盛り上がり、藤前に吹いた風は、吉野川河口堰、中の海干拓、東京湾三番瀬とつながっています。

■日本最大級の渡り鳥の中継生息地■ 

旧 木曽川河口(現在の日光川河口)に千鳥潟と呼ばれていた泥質干潟。港湾施設と工場群に取り囲まれていますが、その広がりのある景観は、かってのあゆちがた の面影を残すすばらしいものです。ハマシギの渡来数が全国総数の17%になるなど、シギ・チドリ類などの日本最大級の渡り鳥の中継生息地として、国際的に 知られています。干潟に渡り鳥がくるのはそこに鳥たちの餌となるカニやゴカイやアナジャコ、魚介類が沢山いるからで、カニやゴカイは干潟の表面に付着して いるケイソウなどの植物プランクトンを食べ、植物プランクトンは河川から流れ込む窒素やリンの栄養分を太陽の光で炭酸同化作用によって固定成長します。渡 り鳥の渡来はこうした食物連鎖のある干潟生態系のゆたかさの指標でもあり、干潟で育った小魚が成長して沖合いに出れば漁師がそれを捕らえて都市の市場には こび、人々の食卓に上るのです。 人間もその生態系の輪を構成する一員であり、そのことによって生かされているのです。干潟は、海のいのちを育てる子宮で あり、ゆりかごであるといわれるのはそのことであり、生物生産力と水質の浄化機能は裏表の関係にあります。 干潟だけでなく、山の上の森の中にある湿地か ら、河川、湖沼、水田、氾濫原、塩生湿地、藻場、さんご礁など、すべての水でつながる生態系は、生物の生存基盤であり、地球上で最も生物多様性と生物生産 力の高い環境であることが分かってきています。ラムサール条約ではこうした水につながるすべての環境を「湿地」と総称します。 これまでの湿地は、開発者 からは不用無用の土地と認識されて、全世界的に干拓や埋立、乾燥化などの開発が進んできました。20世紀の開発で最もダメージを受けてきた湿地の、残され たものをいかに保全し、失ったものを取り戻していくかは21世紀に地球のいのちと人類が生き延びることが出きるかどうかの分かれ目であるといえます。とり わけ、藤前干潟は、工業化による大量生産と大量消費社会が生み出した大量の廃棄物であるゴミが、人類生存の基盤さえ埋めつぶそうとする状況を誰の目にもわ かる形で提示したという意味で、これからの私たちの行き方を考えさせる原点として象徴的な存在です。 このようなことを知識としてして理解するのではな く、現地で体験できるのがこの干潟です。四季折々の渡り鳥に出会える喜びとともに、素足に感ずるたとえようもない心地よさと命のあふれる泥の中で、体で感 じ取れることがすばらしい。35億年のいのちの歴史も、干潟の泥の中に凝縮されています。そうした人といのちのつながり、漁民と都市住民のつながり、都市 (文明)と自然の関係など、学ぶべきものが汲み尽くせぬほどにある存在です。

  活用の概要


■市民による環境活動の広がり■
 

藤 前干潟を守る会では、1971年前から始めた干潟の保全活動に続いて、1984年からは藤前干潟の野鳥や底生生物の調査と、自然観察会などの普及活動、 1987年から毎年、広範な人々を巻き込む「ゴミ鳥シンポジウムを」開いて、ゴミ行政への提言をすることを5年間続けました。その中から自発的なガレージ リサイクル活動や主婦が中心のゴミネットなどの活動が生まれました。1990年には全党派の支持を得た10万人の署名活動を行い、市の計画半減を引き出し た。また、ダイオキシンや環境ホルモン への関心から1998年には地元の主婦らが「ダイオキシンから子どもを守る会」を結成し、学習会や署名活動を行っ て、自治会に名古屋市との協定を破棄させることになりました。

■干潟の生態を体感して、共感を呼び起こす■ 

「干 潟探検隊」や「生きものまつり」のイベントを開催して、四季折々の渡り鳥の渡来や生きものたちの生態、干潟にふれあうたのしさをを味わう機会を増やしたこ とで、そうしたところをゴミで埋めたくないという共感が広がりました。干潟のすぐそばまで迫る巨大なゴミの焼却工場と、ゴミ車両の列はゴミ問題の深刻さを 実感させ、自分たちは何をしたら良いのかを考える動機になるのです。また、渡り鳥や底生生物の調査をすることによって、干潟の価値をより強く実感し、親し みを増やし、活動をつなぐ人を育ててきています。干潟の現場ばかりでなく、そこでの関心をさらに深める研究者の話などを聞く、藤前フォーラムを随時開い て、理解を深め、関心を広げました。 

■干潟を守る■ 

1999 年、7割の市民が保全を求めた「世論の包囲網」によって名古屋市は17年をかけた事業手続きの最終段階でゴミ埋め立て計画を断念せざるを得ませんでした。 そこから始まる「非常事態宣言」に、市民も「干潟を守った以上、ゴミを減らさにゃ」と責任感を持って応え、2年で23%の画期的なゴミ減量を実現させ、市 長に「苦しい決断だったが、正しい選択だった」と述懐させました。 

  課題と展望


 藤前干潟は、ラムサール条約登録地に指定され、恒久的にその保全と活用を図ることを世界に約束しました。ラムサール条約は森から海までの水でつながるあ らゆる湿地生態系の保全と、その特質を活かした利用を進め、失われた環境の復元をめざすものです。 藤前干潟は、ゴミ埋め立てという公共性のある事業に対 して、社会的な選択として保全され、使い捨て社会を見直して「ゴミゼロ」社会をめざしていく契機をつくりました。 藤前干潟の保全活用をどう市民の手で進 めるか、干潟の環境修復をいかにはかるか、都市からの汚濁負荷をいかに減らすか、源流の森から伊勢湾までの環境を見直し、かってあったゆたかさをどう取り 戻してゆくか、ここまで自然を破壊し追いこんできた都市(文明)のあり方をどう自律型に変えていくか、課題は尽きません。